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帽子を洗う

身に着けるもののなかでも、帽子は特別だ。現代ではべつになくても成立するし、むしろフォーマルな場では脱帽のほうがマナーである。

だが僕は帽子がとても好きで、うまく帽子をかぶっている人(かぶりぬし)を見ると目で追ってしまうほどだ。素敵なかぶりぬしとすれ違ったりすると、やられたぜえと思うし、あの人になりたいとさえ思う。帽子にはそれぞれの「かぶり方」があって、かぶりぬしのライフスタイルやファッション、体型、キャラクター、体調などにも左右される(と勝手に思っている)。それらはすべて、帽子自身が要求するものなのだ。

 

とりわけ僕が好きなのは、キャスケットと呼ばれる、ベレーとハンチングのあいのこみたいな帽子だ。つねにはかぶらないまでも、部屋にはかならずいくつかあって、気分のいいときにはそれに合わせて服を選んだりもする。キャスケットのかぶりぬしに必要なのは、ある種の上品さやユーモア、そして少しの野蛮さだ。実際、僕自身いまだにあまり似合っていないけれど遮二無二かぶっているのは、この帽子に選ばれるような人間になりたいという理由からだった。

全盛期はおそらく音楽でいうとスウィング時代であろう。20世紀初頭、まだ帽子が必須アイテムだった時代。ハットの似合わない低賃金の労働者たちを中心に、ハンチングやキャスケットが大流行した。裾のほつれたスーツで、たばこをくわえて、こうした帽子を斜めにかぶっている彼らは、ある意味でロックやパンクのような精神性だったに違いないと想像する。

 

先日、お気に入りのものを久しぶりに箪笥から出すと、長くしまってあった冬物特有のすえたにおいがした。洗わないとと思いながらそのまましまっていたせいだろう。このさい、思い切って洗ってやることにした。あたたかい石鹸水を洗面所にためて手で軽くもみ洗いしていると、不平不満をもらすかのごとく、灰色や茶色の汚水がどんどんたまってくる。ごめんよと思いながらそれらをゆすぎ、曲げたハンガーで干す。

近頃こいつをかぶって外出することがなかったせいか、両名とても不機嫌そうである。ちゃんとご機嫌をうかがわなければ、今後かぶらせてくれなくなるかもしれない。そうなったら終わりだ、と思う。窓のそばにかかった二つのキャスケットは、水を滴らせながら、じろりとこちらを値踏みしている。