パサージュの駄菓子

 小さいころはお金が無くても平気だった。よくも堂々と、ポケットに数百円だけ忍ばせて街中を闊歩していたものだ。もちろん今でも金持ちというわけではないので、僕の薄っぺらな財布にはそれほど大金が入っているわけではないけれど、その時よりは幾分ましだ。わずかでもお金を持っているときには豊かな気分になるし、そうでないときには何か特別欲しいものに出会ってしまわないかと考えてしまう。我ながら小市民的な性分である。

 

 しかし、子どもとはいえ、お金の使い道は今よりもたくさんあったはずだ。おもちゃやゲーム、流行りのキャラクターグッズや漫画。食べることと仕事に関すること以外はあまりお金を使わない(使えない)僕としては、当時の豊かな想像力がうらやましくも思える。お小遣いは数百円程度しかもらっていない分、それを何に使うかけなげにも一生懸命考えていたのだ。

 

 そんな子どもにとってありがたいのが駄菓子の存在である。そもそも一個数十円だったし、カラフルだったりおまけがついていたりと、それらは高価ではないけれど子どもたちの目を輝かせるのに十分だった。子どもだまし、と大人は言うかもしれないけれど、子どもだましに引っかかることができるなんて、なんと幸福なことだろう。鋭い目つきで頭の中の電卓をはじきながら「コスパ」を考えるようになったのは一体いつからだろう。どだい、「コスパ」という言葉自体が「ト」「フォーマンス」を略していい気になってやがる。なんていやな言葉なのだろう。これからはすすんで「費用対効果」と言っていきたい。(意味はかわらないけど)

 

 この間、とあるパサージュのおもちゃ屋の中にひっそりと置かれていた駄菓子のガムを見つけた。やっぱりどこの国にもこういうのってあるよな、と思いながらパッケージを見てみると、「あたり」が出たらもう一個と書いてあるではないか。きっとあの時の自分なら大喜びで買っていただろう。なんだかいいなと思って写真を撮ってはみたけれど、つまらない大人は結局ひとつも買いはしなかった。